ブラリ久御山

佐野農園がある久御山町には、「巨椋池(おぐらいけ)」という大きな池が、かつてありました。

池では漁業も営まれていましたが、昭和の初めに干拓されたことで広大な農地が誕生し、一帯は本格的な農業地帯となりました。

また、みやこ・京都から近いこともあり、ちょっと深掘りしてみると、グッとくるストーリーが散りばめられていることに気づきます。

秀吉は、ここに首都を築いた?

●秀吉の土木 首都構想、景観の良さ、淀城・淀の方・淀大根

実は久御山町には、中世における日本随一の土木事業の歴史を持っています。戦国時代、天下統一を果たした豊臣秀吉が目を付けたのが伏見。秀吉は、関西エリアを中心に大胆な土木事業をおこなったことでも知られている、“元祖・ゼネコン”的な傑物でもあります。群雄割拠の戦国時代、秀吉は、政敵からの防御を考慮しつつ京都・大阪・奈良を結ぶ要所として、伏見に着目。ここを日本の”首都にするべく伏見城を築き、巨椋池に街道を作って陸路のスピーディな往来条件を整え、さらに川の流路の大幅な変更工事も行いました。秀吉が築いた堤防の史跡が、「太閤提」として今も残っています。

また、伏見の指月から眺める巨椋池方面の風景を秀吉は愛で、徳川家康を招いて月見をしました。このことから名づけられた橋が観月橋。江戸時代には風光明媚な景勝地として、度々、絵図に描かれています。街の景色は一変し、現在は変わりましたが当時の絵図を見ながら想像するのも楽しいですね。

「都名所図会 指月 豊後橋 大池」国際日本文化研究センター所蔵

また、久御山町の淀苗は古くから有名。広大な巨椋池があったこと、そして3本の川の合流地点あることなど、一帯は水が豊かであることと、関係があるように思われます。

城南伏見地図(伏見廻附) 国際日本文化研究センター所蔵

古地図ファンの間で有名な吉田初三郎の絵図を見てみます。宇治が紹介のメインながら、巨椋池の大きな存在感にご注目。「

「宇治名勝御案内附宇治川ライン 吉田初三郎」 国際日本文化研究センター所蔵

これほど大きな巨椋池でしたが、昭和の干拓事業で姿を消します。巨椋池一帯はかつて漁業地帯でしたが稲作地帯に転換し、今は良質な土壌を生かした「淀苗」が有名になっています。

また、桂川などが合流する久御山一帯では度々河川が氾濫し、稲が流されるなどの水害に悩まされてきました。聖護院大根の栽培が稲との輪作で盛んになったのも、稲作だけに頼れなかった農業の必然と言えます。いま、久御山は、京都の伝統野菜・聖護院大根の主な産地となっています。

続いて、現在の久御山に目を向けてみます。

マニアさん!ご注目!

●ジャンクションマニアさん、必見!

久御山ジャンクションは、“ジャンクション萌え”なマニアさんの間でも有名なインフラスポット。映画『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』の、撮影地になったことでも知られています。

「タービン型」という、走行に理想的な形状で作られたのは、用地の制約が少なかった田園地帯・久御山だったからこそ。高架の下に歩行と自転車の通行が可能な陸橋が設置されているのもレア度が高く、交通・通行の要所であることを示しています。

2003年生まれと比較的新しいジャンクションのため、デザイン性も考慮されており、白い橋脚と青い桁という美しいルックスは、インフラ好きの皆さんの心をくすぐる愛されポイント。マニアさんが著した写真集『立体交差 ジャンクション』(著/大山顕 本の雑誌社)では見事、表紙を飾っています。

夜景だけでなく、春、水を張った田んぼに橋が映り込む風景は、田園地帯・久御山町ならでは。巨大人工物と農村風景のコラボを堪能することができます。

久御山町は、地方交付税を受けない不交付団体で、財源が豊かな町。多くの企業が集積し、税収が豊かであるためですが、交通の要衝であるは大きな理由の一つ。ジャンクションは、そのことをビジュアルで実感できる場所です。

※参考資料『高速ジャンクション&橋梁の鑑賞法』

●橋梁マニアさん、必見!

淀川橋梁は日本最大の単純トラス橋として橋梁マニアさん、注目の橋です。

●地名マニアさん、ご注目!

佐野農園の所在地、「東一口」は全国有数の難読地名でしょう。「ひがしひとくち」ではありません。読めませんよね。答えは、「ひがしいもあらい」。この辺は芋を洗う場所だったのでしょうか…? 

地名の由来は諸説ありますが、『日本の地名 60の謎の地名を追って』(著/筒井功 河出書房新社)によると、

中世には「芋洗」「いもあらひ」と書いていた。一口の字を宛てるようになったのは、江戸時代に入ってからのことである。・・・(略) 奈良県の高市郡と吉野郡との境に芋峠がある。江戸期には「疱瘡峠」と書いてイモトウゲと読ませたこともあった。すなわちイモとは、天然痘(疱瘡、痘瘡)の別称でもある。・・・(略) 

同書では、奈良県には「いもあらい地蔵尊」があり、神奈川県には「芋明神」があったことなどから、「イモアライとはイモハライ(疱瘡祓い)が訛った言葉である可能性が強いことになる。」としています。さらに、「一口」の漢字については、イモを一口で食べるように疱瘡を一気に退散させてほしい、また、「ひとこと」祈れば願いをかなえてくれるように、との願いからあてられたと指摘しています。

また、『京都 地名の由来を歩く』(著/谷川彰英 KKベストセラーズ)では、イモは同じく疱瘡(天然痘)とし、「一口」の漢字については、桂川、宇治川、木津川の三つの河川が一つ口に流れ込んでいるという意味だとしています。

人々の病への恐れと平癒の祈り、そして地理・地形的な要素が、難読地名誕生の背景にありそうですね。

●橋マニアさん、必見

(「流れ橋」のこと)3つの川が合流する地点であり、水が豊富。ということは、大雨の時は河川が氾濫することも。この橋は、そんな災害を前提とした面白い仕組みを持っています。

珍しい構造の橋を採用してしまうほど、水がとても豊かな場所、ということですね。

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